須賀川市議会 2018-06-07 平成30年 6月 定例会−06月07日-02号
芭蕉・曾良・等躬三子三筆詩箋につきましては、等躬の弟子である藤井晋流が著した蕉門録に記載があるなど、その存在は知られておりましたが、所在は不明となっておりました。平成22年3月に俳文学会が刊行する学会誌に「芭蕉・曾良・等躬三子三筆巻子の出現」と題した論文の発表により、その所在が明らかとなったものであります。
芭蕉・曾良・等躬三子三筆詩箋につきましては、等躬の弟子である藤井晋流が著した蕉門録に記載があるなど、その存在は知られておりましたが、所在は不明となっておりました。平成22年3月に俳文学会が刊行する学会誌に「芭蕉・曾良・等躬三子三筆巻子の出現」と題した論文の発表により、その所在が明らかとなったものであります。
また、須賀川は江戸時代より俳句文化が盛んなまちとして知られており、奥の細道紀行で須賀川へ立ち寄った松尾芭蕉、河合曾良をもてなした相楽等躬をはじめ、その系譜を引く藤井晋流、市原多代女、近代須賀川俳諧を代表する柳沼源太郎、道山壮山、矢部榾郎など、多くの俳人を輩出しているところであります。
本資料につきましては、芭蕉自筆450点の真蹟の全てを収録されている芭蕉全図譜というものには掲載されてはおりませんが、等躬の弟子であります藤井晋流が編さんした蕉門録というのがございます。
この公園も当市で最も古い公園的な存在であるわけですが、江戸時代の本町の庄屋、藤井晋流など当時の文化人が中心になって、今から260年前の寛保年間に近江八景になぞらえて愛宕山一帯、以前は岩瀬山と申したそうですが、愛宕山一帯、琵琶池を中心にしてこういったものがつくられたようであります。